さて聖フランチェスコに救われた子供ボナヴェントゥーラもその頃パリ大に居たのである。トマスが「天使博士」と称されるのに対し「熾天使博士」と言われた。またトマスがドミニコ会に対してボナヴェントゥーラはフランシスコ会である。
両者は共にアリストテレスの影響を学んだが、ボナヴェントゥーラはトマスのように全面的に受け入れてはいない。トマスのように理性で真理に近づけるとは考えず、理性そのものが神の恩恵に導かれねば、人間に見える現象は不確かで、真理には到達しない、歩みは神との共同作業である。
さらにボナヴェントゥーラは、真理の到達には理性だけではなく、情動も必要であると述べる。トマスと同様に真理すなわち神は理性には見えない。信仰には情動が必要というわけである。そして最後的には、知識ではなく、すべてが融合した神との合一こそが真理の認識と言うのである。
またボナヴェントゥーラは、神の愛と光は万物に行き渡り、神の似姿として存在するからこそ、人間は神を知ることができる、と述べ、会の創立者、聖フランチェスコが「太陽の歌」で歌った直感的思想を哲学化するのである。理性だけに頼らない存在との合一思想も後のカトリックの流派となり、哲学ではベルグソンの「生の哲学」で復活する。
下は聖ボナヴェントゥーラと聖フランチェスコ
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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