聖王の御世4-ルイ王始動聖人の理想へ

十字軍から帰還したルイ9世はもう以前の彼ではなかった。彼は贖罪のためにも、フランスで神の求める愛に満ちら政治を行うと決意した。彼は中央から地方に至るまで不正を許さず改革を行った。そのため、縁故や諸侯の介入をさせず、知識人や聖職者を王の周りに集めて、その人達の言うことを聞いた。フランス王権が実はここで固まるのである。
また王は自ら清貧に務めた。実は彼は美食家だったが、帰還以後食事に文句を言わず、葡萄酒も薄めて飲んだという。貧民には惜しげなく施しをして、絶えず足りないと嘆いていた。復活祭の前の聖木曜日には嫌がりもせず、癩病者の足を洗い、教会だけでなく、病院も建て、実に彼の御世小さな街にも病院が必ずある状況となる。

聖王の民衆裁きは有名である。吉宗ではないが、自らヴァンセンヌの森に行き、神聖と言われた樫の木によりかかって「ここに問題を抱える者は居ないかね?」とのたまって、来た者にはどんな者でも、王自ら相談した、その裁きたるや「特に証拠がなければ、弱者の有利にする」というのだから。国の不正はみるみるうちに粛正され、王は大勅令などを出し、不正の温床となる行為を具体的に禁止した。

彼の理想としたのは聖フランチェスコ、ドミニコである。托鉢修道会の聖職者は聖王の傍につき、ルイは「フランチェスコの坊主王」と悪口を叩かれた。しかし彼は聖人の理想を生きようとしたのである。ちょうどカール大帝が聖アウグスティヌスの理想を実現しようとしたように。そして両会の俊英がパリ大学に集う。

下は聖王ルイの民衆裁き


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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。