世界大戦へ12-ボスニア危機

1908年9月19日、ロシア外相イズボルスキーとオーストリア外相エーレンタールがチェコのブハロウ城で密会した。双方の思惑は、墺側はボスニア・ヘルツェゴヴィナ併合、露側はボスフォラス・ダーダネルス海峡通過権だった。ロシアは海峡通過権がないので黒海艦隊を日露戦争に参加させられなかった。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナは1878年のベルリン条約でオスマン領土でありながら墺帝国が管理していたが、オスマンの弱体化で勝負を決めたくなったのだ。しかし隣国のセルビアの反発がやっかいなので事前にロシアと取引して支援せぬように密約をしたのである。

1908年10月5日、オーストリアはボスニア・ヘルツェゴヴィナ併合を発表した、しかし現地では何も変わりがない。ところがヨーロッパに大反発を起こした。ロシアの地中海進出は英仏伊が反対、海峡通過権がなくなったロシアは密約を反故にした。そしてセルビアでは11月初旬に総動員体制とななる。

オーストリアも待ってましたとばかり総動員体制をかけた。このとき第一次世界大戦につながるオーストリア・セルビア戦争は始まりかけたのである。実は露外相はこの密約を首相にも皇帝にも知らせていなかった。ロシアではセルビア支持の世論が広まり、ヨーロッパは危機的状況となった。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。