世界大戦へ13-ボスニア過激派結成

この「ボスニア危機」でロシアが出て来ると考えていなかったオーストリア外相エーレンタールは戦争に消極的となった。ロシアを敵にまわす覚悟はなかったのだ。それにスラブ国であるセルビアに勝ったところであとどうなるかわからない。皇帝フランツ・ヨーゼフ1世も乗り気ではなかった。

そしてロシアもこのときは日露戦争の敗北と1905年革命のショックから立ち直っておらず、戦争参加は気がひけていた。また同盟を組んだフランスが、バルカンの問題として乗り気がなく英仏は国際会議を提案していた。つまりどの大国もこのときは及び腰だったのだ。

ここでドイツが動き、首相のビューローがロシアにボスニア・ヘルツェゴヴィナ併合を認めるよう強く圧力をかけた。ロシアは折れ、ボスニア危機は大戦にはつながらなかった。しかしこれで露独関係はますます悪くなり、ロシアはフランスと密になっていく。

また収まらないのがセルビアである。ロシアに失望したセルビア内の過激派は「黒手組」という秘密結社をつくり、セルビア系ボスニア人は「青年ボスニア」をつくって反オーストリアの暗殺テロを起こすようになる。サラエボ事件の種はこうして蒔かれていたのである。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。