世界大戦へ17-英仏露三国協商

ロシアの初代首相に就任したのはポーツマス講和をまとめたセルゲイ・ヴィッテだった。彼は自由主義的改革派で、立憲君主制をめざしたが、モスクワ蜂起を鎮圧して民衆の力が衰えると、皇帝中心の旧来の勢力が復活し、国会の改革派からも反対が起こり第一国会召集前に辞任した。

政権を安定させたのは第三代首相のストルイピンである。彼は社会民主労働党の議員を逮捕して国会を解散し、勅令で選挙法を改訂して、制限選挙を厳しくした。多数の者が処刑され、処刑台は「ストルイピンのネクタイ」と称された。そしてやはり上からの改革を実施する。

彼は国会の権限を拡大して、市民的自由も拡大し、裁判も近代化させた、もちろん秘密警察の目は光っていたが。そしてミール(農業共同体)を解体して、農民が土地を買い取って自作農を育成しようとして農民銀行をつくって資金援助をした。これで農民の20%は自作農となった。

そして1907年、中央アジアの覇権を争っていたイギリスと「英露協商」を締結する。イランの北部をロシア、南部をイギリスの勢力範囲とし、アフガニスタンでのイギリス覇権を承認する代わりにバルカンでのロシア勢力を認めた。これで英仏露がブリッジで同盟を組むことになった。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。