ビョルケの密約が破綻となり、露独皇帝の間も少し隙間風が吹く。イギリスはその隙に侵入し、1907年に英露協商が成立した。ロシアはアジアで戦う元気をなくし、イギリスとの間で中央アジアの勢力圏を確定したかった。そして国会を持ったということで、新しいロシア官僚は立憲先進国イギリスを向いた。
軍事同盟ではないが、イギリスをブリッジとして英仏露が連携した意味は大きかった。ビスマルクはこの3国が同盟を結べばドイツの危機につながると何としてもそれを割くことに全力を尽くした。この成立を報じたドイツの新聞は、正しく「ドイツは包囲されている」と書いた。
強がりの独皇帝ヴィルヘルム2世は、観艦式で「我々はフリードリヒ大王に倣わねばならない。大王はあらゆる方面で敵に囲まれてもこれを打ち破っていった」と述べた。そして今度はニューヨークタイムズのインタビューで、イギリスは日本と同盟して白人を裏切った、米独は連携して黄禍を除かねばならない、とぶち上げた。さすがにこれが記事にされることはなかったが。
ロシアもイギリスもドイツの敵意に配慮して、バルカン問題でも独墺と交渉するようになる。しかし一旦別れたものをまた結びつけるのは難しく、世界は協商対同盟としてどんどん動いていくのだ。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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