聖王の御世2-フェデリコ死して大空位時代

パルマ敗北後の皇帝フリードリヒ2世ことフェデリコに、1249年北伊攻め司令官だった長男エンツィオがボローニャで捕えられるという悲報が見舞った。皇帝は息子と同じ重さの金を身代金にする、と交渉したが、ボローニャは応じなかった。エンツィオは詩人でこの後23年も、多分一族の中で一番長生きする。

そして翌50年、フェデリコは攻勢に出て北伊での勢力を奪回する。仏王ルイがエジプトで捕えられたと知るや、その解放にもイスラムと交渉する。フランスに居る教皇を攻めようともしなかった。ところが11月、鷹狩りの最中に腹痛を訴えそのまま12月13日に崩御するのである。

教皇はフェデリコ死すの報に「天地が喜ぶ」と大聖堂の鐘を打ち鳴らした。教皇はローマに堂々と帰還し、フェデリコ一族の追討を命令する。52年ドイツ王の息子コンラートはイタリアに逃れ、ドイツは諸侯入り乱れる「大空位時代」に突入する。そしてその権威付として「神聖ローマ」という名が使われる。

52年仏王ルイ9世が帰還したとき、ヴァチカンは安堵したろう。教皇対皇帝の争いは、教皇が皇帝を潰すという形で決着、イタリア都市は独立してフェデリコの遺産も取り入れ、ルネサンスを準備する。そしてヴァチカンは、帝国の代わりにフランスを頼るようになる。

下はナポリの皇帝フェデリコ像。南イタリアでは愛されているようだ

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。