第7回十字軍10-皇帝助力母の死、ルイ帰国

解放されたルイ9世は弟2人を帰郷させたが、最後の1兵が解放されるまで帰らず、とエルサレム王国に留まる。ルイは人々を安堵させ、王自ら城壁を修復し、祈り、味方の屍を運ぶなど懺悔の日々を送った。一兵士として分けへだてなく接する王に皆感動した。しかしエルサレムへは「勝って入る」と招待に応じなかった。

王妃マルグリットは、何と敗北時に臨月の身であった。彼女は警護の者に、敵の辱めを受けるくらいなら自分の首を切るように、と命じていた。しかし出産してからはすぐ王の身代金集めに奔走し、テンプル騎士団にも掛け合って全額調達して王を解放させて、エルサレムへ赴いた。

ルイは、聖地の防御を建て直し、ここでも各者の不和を調停してまわった。エジプトがマルムークとなったことで、シリアのアイユーブも、どちらもキリスト教徒を味方にしようとして、ルイに近寄り、その結果兵の人質は返され、イスラムとの10年の休戦条約が締結された。

実は欧州でもあのフリードリヒ2世が、ルイ王の解放にイスラムとの繋がりを生かして動いたらしい。そして1152年11月26日、母国で留守を支えた母ブランシュが崩御した。王は嘆き、帰国を決意した。「心しなさい、王が帰国するのは、王が神の愛に応えた正義を徹底して行うためなのです」と帰国途上、僧ユーグは臣下に言った。

下はサンシャペルのブランシュ・ド・カスティーユのステンドグラス

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。