世界大戦へ12-奉天の勝利から講和へ

旅順陥落とロシアの政情不安を受けて、同盟国のフランスは講和の斡旋に入った。また国際世論ももうロシアの敗北で戦争は終わったムードだった。しかしロシア側はこのまま敗北すれば国内の騒乱も一層激しくなる恐れから、ここで何とか戦果を出そうと焦るのである。

1月24日、ロシアは不意をついて黒溝台で攻撃を行い、日本軍を危機に陥れたが、何とか日本は踏みとどまった。日本も兵站の維持が困難となり、3月1日からの奉天会戦を「本戦役の関ケ原とならん」と位置づけ、決戦に挑むのである。この猛攻にロシアは後退を始める。

これにあくまで決戦をしようとする日本軍は文字通り死体の山を築きながら前進する有り様だった。ロシア軍は余力を残したまま後退していった。司令官クロパトキンはナポレオン戦争を真似た撤退戦術のつもりだったが、彼は信頼の厚いクトゥーゾフではなかった。軍の士気は激減し、クロパトキンは解任された。

日本軍はロシアが撤退した後の奉天に入城したが、もう追撃する力は残っていなかった。奉天会戦の日本の勝利で欧米各国マスコミは講和の話題を載せるようになった。米大統領ルーズベルトも日露に講和を打診する。しかしロシア宮廷はバルチック艦隊に一縷の望みを託すのである。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。