世界大戦へ11-血の日曜日事件

日露戦争で窮地にあるロシアで1905年1月22日「血の日曜日事件」が起こった。ペテルスブルクでのガボン神父が主導した平和的デモに軍が発砲して多数の犠牲者を出した事件である。ガボンらの要求は労働者の待遇改善の他、日露戦争の中止、憲法制定議会の開催もあった。

実はロシアの工業化の進展で、労働者が多数生まれていた。そして労働者の相互扶助組織が生まれていた。ペテルスブルクでは、ガボン神父が労働者の待遇改善と信心とモラルの向上を目的として組織をつくったが、その組織は8千人にまで増大した。中心は印刷工で40%は何らかの組織に入っていたようだ。

日露戦争で経済が低迷し、解雇が行われ、ガボン組合の内の4人も解雇された。このことがきっかけでこの工場でストライキが起こり、その波は急速に広がってペテルスブルクのゼネストに発展し、労働者の過半数の10万人が参加した。そのあとのデモは中心街へ入れないはずだったが6万人を越えるその多さにストップ不可能となった。

この事件によって国民に寛大なニコライ2世の評判は地に落ち、ストライキは主要都市に広がり、農民の騒乱も各地で発生する。皇帝は内務大臣を更迭して批判を収めようとしたが、日露戦争が敗戦すると第一次革命が発生する。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。