世界大戦へ10-君死にたまふことなかれ

旅順攻防戦の最中の1904年8月、詩歌誌「明星」に与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」が発表された。この詩は旅順に居る弟宗七の身の無事を案じて書いた詩である。しかし「ご無事を祈る」という生易しいものではない、「人を殺せと教えしや」「旅順の城はほろぶとも ほろびずとても何事ぞ」と書いたのだ。

当然というかこの詩は、さっそく文学者大町桂月が批判した「乱臣なり賊子なり、国家の刑罰を加うべき罪人なり」とまで言われた。特に天皇を書いたところが問題となった。しかし鉄幹も加わり、天皇の国民を憐れむ心を歌ったという解釈を発表した。晶子はもとより私情を謳っただけと言った。

この詩はトルストイが「正気に戻れ」と書いたキリスト教的人類愛に基づく戦争批判に影響されたと言われている。トルストイの戦争批判は東京朝日新聞にも16回に分けて連載された。1904年8月にはアムステルダムの第二インターナショナルで日本の片山潜とプレハーノフが握手して反戦を訴えていた。

晶子は天皇を批判するつもりもない。が、時代が戦争にのめりこんでいくにつれ、この詩は危険思想とされて禁書扱いとなった。しかし第二次大戦後は一転して、日本の天皇制下での反戦詩の代表として高くとりあげられた。人の心は時代と共に変わるが、またこの詩が批判される時代がこないとも限らない

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。