1904年8月10日には、両軍総勢28万人となる遼陽会戦が行われた。日本軍が有利に進め、ロシアは退路遮断を恐れて撤退、死者は日本2万3500、ロシア2万人余りで日本は遼陽入城を果たすが追撃の力はなかった。海戦では8月10日、ウラジオストックに帰還しようとするロシア旅順艦隊を日本が追撃、黄海海戦となった。ロシアは結局なんとか旅順に戻ることができた。
そして海軍は陸軍に旅順攻撃を要請し、いよいよ旅順要塞攻撃が開始された。砲撃戦の後、日本軍は突撃をするがこの攻撃で日本は1万5千人以上の犠牲を出した。この失敗で日本は塹壕を掘り進む「正攻法」に切り替えた。
日本は突撃と塹壕掘りを同時に行い、対艦用28センチ砲も援護して第二回総攻撃を敢行したが、千人の戦死者を出し堡塁1つを占拠したのみで攻撃を中止した。11月26日から決行された第三回総攻撃も白襷隊などの決死隊ができて攻撃したが7千人の損害を出してしまった。
そこで乃木は海軍の要請のあった手薄な203高地に目標を変えた。せめてここだけは取りたかったようだ。この突撃は凄惨を極め、両軍ともこれだけで5000人以上の死者を出した。この奪取が契機となり、ロシアが予備兵力が枯渇したことで、旅順要塞は降伏した。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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