1904年2月6日、日本はロシアに国交断絶を言い渡した。そしてこの日には海軍が佐世保を出港、2月8日には陸軍が仁川に上陸、同日旅順口に奇襲を行った。そして2月10日に宣戦布告を行った。ロシアに時間を与えると、旅順要塞が完成し、また東清鉄道が延長されて兵站が容易になると考えた。
ロシアといえば、最強硬派の極東総督アレクセーエフも日本が宣戦してくるとは考えていなかった、日本を脅せば、ロシアの力を恐れて有利な方向に日本が転んでくると思っていた。皇帝ニコライ2世といえば、最後まで交渉の進展に期待し、まさか戦争とは思わなかった。
4月30日に、陸軍第一軍が鴨緑口を渡河しようとしてロシア軍と会戦となり、舐め切っていたロシア軍を打ち破る。この勝利のニュースはたちまり欧州をかけめぐり、ロンドン市場で前評判の悪かった日本国債は、あっという間に完売した。これで戦費がまかなえるようになったのである。
5月26日には第二軍が南山の戦いで激戦の後勝利、アレクセーエフは、旅順援護を要請し、当初遼陽で待ち受けるはずであったロシア軍は南下するが、得利寺の戦いで日本軍に敗退して遼陽に戻るハメになった。大口を叩いていたわりにロシア軍の作戦は終始チグハグだった。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
0コメント