1898年ロシア社会民主労働党の結成大会がミンスクで行われた。しかしこの政党はすぐ非合法化されて指導者が逮捕されたため、実質的に結成されたのは1903年の第二回ブリュッセル大会である。このときの代表者は43名だった。指導者となるレーニンはスイスに亡命していた。
レーニンはこの大会で、党員は党活動に参加する堅固で前衛的な党であることを主張したが、マルトフは党を支持するだけで党員とする大衆的な党を主張した。この2つの主張の違いは長く続き、そのときはレーニンらが多数派だったのでボリシェヴィキ(多数派)を名乗り、他方は少数派(メンシェヴィキ)となった。
当時指導者として信頼を集めていたプレハーノフは、最初はボリシェヴィキだったが、レーニンの独断的なやり方に反発し、メンシェヴィキになって今度はレーニンが機関紙「イスクラ」を追い出されてしまった。
当時ヨーロッパ主要社会民主党では議席を取って大衆化を進めていくのが主流となっていた。ところがこれはナショナリズムにハマってしまい、国の利益を優先する方向になっていく。各国が戦争する第一次世界大戦には国益優先で戦争賛成になってしまうのだ。レーニンはまるで反対を考えている。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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