近代アジアの動乱49-西太后帰還

連合国が北京に入城する前に西太后は北京を脱出した、ぐずぐずしていると彼女は戦犯になる恐れがあった、そして光緒帝の権力を列強が復活されるのを恐れて皇帝も人質として同行させた。このとき皇帝の愛する珍妃を井戸に投げ込まさせて殺したらしい。自分に万一のことがあって珍妃が権力を握るのを恐れたようだ。

西太后一行は、古都西安におちついたが、それまでに義和団を反乱軍とする詔を出した、そして「中華の物力を量りて、與国の歓心を結べ」と、列強との和解を指示した。さらに税金を北京ではなく西安に集めるようにした。彼女はその金を惜しみなく臣下にばらまいた。

西安地方の有力者も彼女に貢物をして、彼女は毎日豪勢な生活を楽しんだ。一方列強と清国の間で1901年9月7日北京議定書が締結された。清の賠償金は4億5千万両にのぼり、公使館の治外法権のみならず、海岸から北京に至る要所を列強の占領地とした。清の武器弾薬や原料の輸入を禁止された。

列強の一方的な条件をすべて受け入れることで、西太后は1902年に再び北京に戻り、清朝を存続することができた。義和団の乱で西欧側は、中国は清朝に統治させることが得策だと思うようになった。しかしロシアや日本はまだ得ていない中国での権益を求めて争うようになる。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。