1899~1900年にかけて中国で「義和団の乱」が発生した。渤海沿岸では列強の租借地が拡大してキリスト教も布教され、現地との軋轢が拡大していた。山東省では民間信仰と伝統武術が結合した「義和拳」がブームになった、義和拳を極めれば、西洋の銃弾も跳ね返すと信じられた。
義和拳をする義和団は、キリスト教施設や改宗民を排撃したが、地方政府は黙認、列強の要求で袁世凱が派遣されて鎮圧されたが、義和団は列強植民への不満によって大勢力となっており、「滅洋扶清」を旗印に20万人の大軍となって北京に進撃して入城してしまった。
この義和団に対し、何と権力者の西太后はOKを出して1900年6月21日、列強に宣戦布告をした。彼女は「中国の積弱はすでに極まり。恃むところはただ人心のみ」と述べたといわれる。清国は在中公使に退去を命じ、洋人一人を殺せば銀50両を与えるとした。西洋人やキリスト教徒は公邸街に立てこもる。
天津の列強軍は北京に進軍しようとしたが、清軍と義和団に押し戻されてしまう。このとき日本はイギリスに兵を送れると伝え、八カ国連合軍が組織される。連合軍で最大兵力は2万2千人の日本であり、それに次ぐのが1万2千人のロシアだった。連合軍は8月14日に北京に到達した。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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