第6回十字軍12-エルサレム無血開城だが?

アイユーブ朝のカリフ、アル・カーミルも、ダマスカスの太守の弟を説得していた。ようやく説得できて、カーミルはガザに移り、フリードリヒ、フェデリコはヤッファへ移った。この近くの距離を使者ファラディンが馬で往復しながら細部を詰めていったわけである。1229年2月交渉はようやく妥結した。

講和の条件は、エルサレムをキリスト教に渡すが、岩のドームとアル・アクサモスク周辺、エルサレムの3分の1をイスラム地区とするということだった。しかしここは元神殿の丘であり、キリスト教、ユダヤ教にとっても聖地であり通行は自由とされた。イスラムはエルサレムを渡したが一番大事な所を残したことで顔がたった。

この平和解決はやはりブーイング。特にキリスト教側から、イスラムと一戦もせず聖地を妥協解決したことを許さなかった。現代でもオバマのイラン合意はトランプ政権によって覆される始末。フェデリコはブーイングの中を平然とエルサレムに入り、教会が拒否るので、なんと自分でエルサレム王の戴冠。あとは城壁の構築に励んだのだ。

ところが留守にしたイタリアで、何と教皇が軍をあげたというではないか。やれやれ、ということで、6月、汚物を投げられ、ブーイングを浴びながら皇帝は南イタリアに戻ると、教皇軍はたちまち退却した。1930年9月1日、インノケンティウス3世の生家であるアナーニーを教皇が訪問するとき、皇帝がお迎えすることで、2人に一応妥協ができた、あくまで一時的だが。

下は自身で戴冠するフリードリヒ2世

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。