第6回十字軍11-破門皇帝の十字軍?出発

1227年3月18日、教皇ホノリウス3世が崩御し、グレゴリウス9世が教皇となった、あのフランチェスコの面倒を見ていたウゴリーノである。フリードリヒ2世は、8月15日約束通り十字軍を出航させようとした。しかし運悪く疫病が発生し、船乗り達にも広がって出航どころではなくなった。皇帝はやむをえず、元気な者だけを先に行かせ、出航は断念しナポリに戻った。

ところが、これまでいろんな理由をつくってさんざん遅らせた事情がある。新教皇はインノケンティウス3世の甥であり、皇帝を目下に見ている。あっさり皇帝を破門して、これまで育てた恩を忘れたかと手紙を送った。売り言葉に買い言葉で、皇帝のほうは、自分はシチリアにほったらかされただけだ、と返事。その結果が1228年3月の2度目の破門だった。

6月28日、皇帝は破門されたまま軍を出発させた。彼にとっては、邪魔な教皇の言うことをきかずに済むし、自分の軍だけで事を成すことができるので、かえっていいと思ったかもしれない。軍は4千人と再建したシチリア海軍を率いていった。なんとイスラム兵も連れていったということだ。

皇帝はアッコに堂々上陸し、現地の聖地騎士団も、エルサレムを解放するという条件で、皇帝に従うことを決めた。しかしこれだけの軍事力を動かすことをせず、皇帝はアル・カーミルとの外交に入るのである。実はアル・カーミルにしてみても、もうエジプト以外は権威が届かない。とにかく陣屋に顔なじみのファラディンを送り、チェスでもしながら、アッコーカイローダマスカスの三角外交が始まることとなった。

下は優雅なチェス外交

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。