日清戦争敗北は清国民にとって大ショックだった。下関条約を破棄して再戦すべきという上訴が相次いだ。官僚内でも康有為らを中心に、日本のように近代化維新を行うべきという意見を持つ者達が出た。光緒帝は同意して、彼らを中心に「変法自強」運動が始まる。
1898年6月11日、光緒帝は「明定国是詔」を発布し、改革に乗りだす。憲法の制定や国会の開設、北京大師堂という近代的大学をつくり、科挙を改革するなどであった。ただあまりに急激で強引な改革は保守派の反発を呼び、改革はサボタージュに会い、彼らは孤立してしまう。
そこで変法派は思い切ってクーデターをして、西太后や保守派貴族を追放する計画をする。その計画を8月3日、軍の大物である袁世凱に話した。袁は同意したかに見えたが、8月5日この計画を西太后にバラし、翌日から変法派の大粛清が行われた。康有為は日本に逃げたが中心人物は処刑された。
西太后はまた政治の中心に復帰し、光緒帝は幽閉された。彼女は帝を廃位して、自分の大甥である溥儁を新帝にしようとする。しかし列強も宮廷内も反対が出て、溥儁を皇太子にして光緒帝を政治の中心からはずしてしまう、清国はさらに末期の様相を呈してゆく。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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