ベルエポック65-悲劇の皇帝ニコライ2世

ドイツだけにいい目をさせられない。1897年12月にロシアは日本に放棄させた遼東半島に艦隊を派遣して旅順と大連を占領、そのままロシアの租借地とした。イギリスも山東半島の威海衛を占領して租借地とした。こうしてこの海域をめぐって列強の争いが強まり戦争につながっていく。

当時のロシア皇帝は悲劇の皇帝ニコライ2世である。94年11月1日にアレクサンドル3世が崩御し、26歳で帝位に就いた。彼は意外と開明傾向を持っていたが、ロシアの専制君主制を信じていた。即位直後にゼムストヴォ(国会)で、「ゼムストヴォが国政に参加するという夢を見てはいけない」と述べた。

99年ニコライ2世の提唱で「万国平和会議」が開催された。ここに26カ国が集まって採択された条約が「ハーグ陸戦条約」である。この条約では宣戦布告から戦術、捕虜の扱い、非戦闘員の保護、毒を使った兵器の禁止などが決定された。悲惨さを増す戦闘を最低限防ごうとした。

ニコライ2世は、ヴィクトリア女王の次女と結婚し、露仏同盟をつくり、またドイツ皇帝、オーストリア皇帝とも親しかった。その彼が日露戦争、第一次世界大戦という2回の戦争の当事者となり、革命の露に消えるのだから人間の歴史は不思議というか残酷というかである。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。