近代アジアの動乱46-ドイツ青島占領

ビスマルクを廃したドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、新路線をとって海外植民地政策を行おうとした、ビスマルクは英仏など列強に攻められるのを恐れていたのだが。1884年ナミビア、トーゴ、カメルーン、翌年にはタンザニアを保護領化した。そして時流にのって中国にも進出しようとする。

ドイツは膠州湾を理想の艦隊基地として目をつけていた。すると1897年11月1日、山東省でカトリック教会が襲撃され、ドイツ人宣教師2人が殺害されるという事件が起きる。同月7日には膠州湾上陸占領作戦を開始し、そこに居た清国兵1000人を退去させ、無血占領した、もはや清国には戦う力は残っていない。

翌98年3月6日には独清条約が結ばれ、膠州湾を含む山東半島一帯はドイツの保護領となった。そして鉄道敷設や鉱山開発権も渡したので、山東半島全体がドイツの勢力圏に入った。他の列強もこれを真似て、租借権を拡大し、中国はますます虫食い状態となっていくのである。

ドイツは青島を模範的な植民地とすべく、下水道やドイツ風建築を行った。そしてドイツ占領下でできたのが青島ビールである。第一次世界大戦時に英仏側で参戦した日本はここを襲撃して、その後日本の植民地となるが、総督府はじめとしてドイツ建築は現在も残っている。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。