第6回十字軍5-フランチェスコ帰還す

フランチェスコがイスラムへ行ってる間、イタリアでは「イスラムに殺された」「海で溺れた」とかの噂が立ったらしい。だから帰ってきたときの感激はひとしおで、1221年春の聖霊降誕祭に行われた総会では3000~5000人が集まった。教会に入りきれず皆筵の小屋に泊ったから「筵の総会」と呼ばれる。この集会は2週間続き、皆が食べきれないほどの寄進が寄せられた。

フランチェスコ会は拡大した。簡単な規則ではいかず、しっかりした規則をつくなねばらなない。フランチェスコは聖地の光で目を痛め、総長を辞した。ウゴリーノ枢機卿の協力でも、規則づくりは大変だった。さすがに修道院もないとやっていけない。何ももちたくないフランチェスコは反対し、レンタルということでようやく決着した。

フランチェスコが始めた「小さな兄弟会」をそんなに大きくしようとは考えていなかっただろう。会則づくりにはずいぶん時間を要し、管区長を決めたり、初期の兄弟会メンバーには受け入れ難いものになり、その後厳格派は禁止されることとなった。

そしてフランチェスコが作ったのが在俗人が入る「第三会」である。従来のカトリックでは、在俗人は罪の世界におり、聖職者や聖人の助けによって天国に行ける。そのため教会に寄進するのである。しかし皆が天国に行けるというフランチェスコは在俗でも清廉な生活をすればいいと考える。宗教改革のプロテスタント思想を先取りしていたのだ。

下はアシジ大聖堂の「フランシスコ会の聖母」

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。