第6回十字軍1-ドミニコついに歩み止む

フランチェスコがエジプトに行っている間も正統派のドミニコは、教皇ホノリウス3世のお仕事をイタリアを中心にこなしていた。1220年の第一回総会ですでに修道会は数百人の規模となった。大都市の真ん中に修道院を建てたのも、大学に行かせたのもドミニコの新機軸だった。

教皇の命令で、ドミニコは荒廃したサン・シスト女子修道院の再建の仕事を行ったが、その中で、重病に倒れた出納係を危篤から回復させ、工事の技術者が生き埋めになって危篤状態になっても、これも祈りで回復させる奇跡を行ったと、当時のローマで話題になったそうである。

翌21年の聖霊降臨祭に第2回総会を成功させた。しかしすでに50歳、いつも陽気で歌を歌いながらどこでも歩いていったドミニコであるが、不休の疲れは身体を蝕み、病気がちになっていった。そのとき彼の霊的娘として愛したアングロのディアナが両親に監禁されたという知らせが入った。

8月の猛暑の中をボローニャまで歩いたドミニコは憔悴しきった。ディアナと父に会って安心したドミニコは自分の仕事が終わったことを悟り、床に着き「終油の準備をしなさい」と言った。泣く弟子達に向かって「私は死んだらもっと多くの実を結ぶ」と慰めた。最後に「主なる父よ、残された者を守って下さい」と祈り、6日帰天した。

下はグイド・レニ作「聖ドミニコの栄光」

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。