第6回十字軍3-チュートン騎士団北へ

フリードリヒ2世ことフェデリコは、生まれも育ちもイタリアで、ドイツなど眼中にない。息子ハインリヒをローマ王にして補佐役をつけたが、諸侯の権利を大幅に認めて好きにさせた。息子は不満をつのらせ、やがてよからぬ謀みにのることになる。

ところで、東ドイツとポーランドのバルト海沿岸、プロイセン地方で新たな動きが始まっていた。この地方はクリスティアンという修道士が伝道していたが、バルト十字軍の影響を受けてプロイセン人が反乱を起こし始めた。クリスティアンはあっさり武力制圧に方針変更し、1217年ホノリウス3世はプロイセンに十字軍を募集する。

この動きに応えたのが、ドイツ人の聖地巡礼を警護していたドイツ騎士修道会、チュートン騎士団である。1225年、ポーランドがチュートン騎士団をプロイセンに招へい。このときの総長が、「13世紀のビスマルク」と呼ばれる第4代総長、ヘルマン・ザルツァ。彼はフリードリヒ2世に近付き、プロイセンを騎士団領とすることを承認する「リミニの金印文書」を出してもらった。これが後の強国プロイセンの始まりである。

1230年から始まったプロイセン侵攻は、順調に進んだ。侵攻に伴い、要塞が建てられ、そこにドイツ人が入植し、町がつくられ、食糧や鉱物をドイツに運ぶことで町は繁栄していった。

下はマリエンブルク城のチュートン騎士団総長の面々一番左がヘルマン・ザルツァ

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。