第6回十字軍2-皇帝フェデリコ行く気なし

第5回十字軍の失敗を押しつけられたフリードリヒ2世。教皇ホノリウス3世は十字軍行きをしきりに要請した。彼の返事は「いやー僕ってまだ皇帝になってないっしょだから軍の指揮権もないわけで」というわけで、皇帝戴冠の用意をしていると「あー、十字軍へ行く前に万一に備えて息子をドイツ王にするからちょっと待って」

ということで皇帝戴冠は1220年11月22日まで待たされた、皇帝25歳。しかし「イタリアのほうも何年も帰ってないから、自分の留守の体制つくっとくし」ということで待たされたあげく、十字軍は負けてしまったわけなのだ。もちろん彼はあまり行く気がなかった。インノケンティウス3世なら有無を言わさず行かせたところだろうが。

十字軍に行かなくて済んだフリードリヒは、自分のイタリアつまりシチリア+南イタリアの中央集権制への改造を行おうとする。カプアに法学者を集めて「カプア憲章」を書きあげる。ここで、力にも神にもよらない「法の支配」が王の側から提起される。そして王の官僚機構をつくり、有能な封建領主を釣り上げて配置してしまった。

またシチリアに居たイスラム達をイタリア本土へ強制移住させ、イスラムの町をつくってしまった。そして海軍力を整備し、ナポリに世界初の国立大学をつくった。この大学では神学中心ではなく、哲学や法学なども重視された、アリストテレスが教えられ、実はここでトマス・アクィナスはアリストテレスと出会う。ヨーロッパにアラビア数学を伝えたフィボナッチも庇護し、アラビア数学はイタリアで複式簿記を産み、さらに科学を産むことになった。

下はナポリ大学に今も残る皇帝の浮き彫り今でもフリードリヒ2世の名が冠されている

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。