近代アジアの動乱42-日本軍陸海で勝利

日本軍は平壌に集結していた清軍の攻略を狙う。そのため名古屋の第三師団の半分を動員し、兵力は1万人となった、対する清軍は1万3千~5千人は居る。清軍はドイツのクルップ社製の鋼鉄製野砲を装備していたが、日本軍は青銅製で兵器は清軍のほうがレベルが高い。さらに兵站も悪かった。

しかし清軍の総司令官葉志超は撤退を主張し、左宝貴によって監禁され、何と総司令官不在のまま戦うことになった。1984年9月15日から平壌の戦いが始まったが、日本軍は苦戦を強いられた。しかし主戦側の左宝貴が戦死して、午後4時に白旗が突然あがり、日本は勝ちを拾って平壌を占領した。

9月17日には海軍の激突、黄海海戦が起こった。アジア最強と言われる大型装甲艦定遠、鎮遠を擁する清国の北洋艦隊だが、速度の速い日本軍の巡洋艦にかき回された。この結果、装甲艦の衝角を使った体当たり戦術はもはや時代遅れで、砲術戦がその後の主流になってゆく。

日本艦隊は、全艦が被弾し大破4艦の被害を出したが沈没はなく、清国側は5隻が沈没、何と敵前逃亡が2艦も出る有り様だった。決定的勝利はなかったが、清国海軍はこれ以後旅順港を出ることはなく、日本が制海権を握った。海軍も日本が勝利したのである。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。