ロマン派以後3-新世界のゴスペル

1892年9月27日、チェコの作曲家ドヴォルザークはニューヨークに降り立った。ニューヨークナショナル音楽院の理事長ジャネット・サーバーから音楽院院長就任の要請を受けたからである。当時のアメリカはメトロポリタン歌劇場もボストン交響楽団も創られていた。しかし音楽はヨーロッパの輸入品だった。

サーバーは、アメリカ独自の音楽の創造を策図していた。そこでチェコ音楽を確立して世界的に有名なドヴォルザークを招聘したのである。彼は最初は辞退したが、年俸1万5千ドルという高額報酬にOKした。ニューヨークに降り立った彼は、「ロンドンのように巨大な街だ」と感想を述べている。

そして有名な交響曲第9番「新世界より」は翌年5月に完成し、12月16日にカーネギーホールでニューヨークフィルハーモニーによって初演され、大好評を博した。この交響曲特に第三楽章の特徴的なハーモニーがアメリカのフォーク音楽の影響があるのかは当初から論争の種だった。

ドヴォルザークは、「アメリカ人の旋律の精神を取り入れた」といって、メロディーをそのまま取り入れたことは否定している。

しかし彼の音楽院の院生に黒人のバリトン歌手が居て、彼の歌う黒人霊歌を好んできいていた。第三楽章のフォーク的5音階はその影響は否定できない。この黒人歌手バーレイは、その後口伝えに伝承されてきた黒人霊歌を収集して音譜化した。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。