第5回十字軍6-ドミニコ、フランチェスコの邂逅

ドミニコとフランチェスコが再会したのは1118年、聖霊降臨祭でのフランチェスコ会総集会のことである。ドミニコはウゴリーノ枢機卿と一緒に参加した。枢機卿は質素な服に着替え、裸足で、貧者の足を洗ったが「ヘタクソ」と言われたそうだ。

集会には大勢集まっていたようだが、フランチェスコは例の調子で、「食べ物は心配しなくていい」と言った。頭の良いドミニコはびっくりしたが、周辺の町々からどんどん食べ物が届けられ、集会が終わっても2日間食べるために残らねばならなかったという。

ウゴリーノの尽力で、2つの修道会は教皇と各地の司教の許可を得て教区でどこでも自由に説教できるようになった。従来のシステムと違うのは、彼らは司祭でも何でもないということである。ただ各地で説教をし、生活必需品と書籍以外何も受け取ってはならない、フランシスコ会では書籍もダメだろう。

そして各地に散った修道士は、イスラムの地モロッコにも行った。最初はイタリアに送り返されたが戻ってくるのでついに処刑された。この殉教は1221年のフランシスコ会総集会で報告され、フランチェスコを感動させた。彼は「他人の殉教ではなく自らの殉教を誇ろう」と言ったと伝えられる。そして自身いよいよイスラム行きを決意するのだ。

下はフラ・アンジェリコ作「聖ドミニコとフランチェスコの邂逅」この場面はかなりの画家が描いている

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。