パリ万博の音楽展には25万フランの金がつぎ込まれた。パリは芸術の都であり、音楽マーケットも欧州最大だったが、それは輸入ものが多かった。ショパンもリストも皆ドイツ圏である、フランスは普仏戦争敗北以来ドイツを目の敵にして、ドイツ圏依存をやめて国産ミュージックを振興させたかった。
1871年にはサン=サーンスを中心に国民音楽協会が結成された。この協会は当初フランスの存命音楽家の作品のみを演奏する方針をとっていた。77年には新進音楽家のフォーレのヴァイオリンソナタ第一番が大成功をおさめ、フランスらしく新しい音楽が芽生えてきた。
「まず敵を知れ」という格言からか、フランスの音楽家はドイツに行き、とりわけ先進的なワグナー音楽を聴いた。サン=サーンスもワグナーを取り入れ、ドビュッシーも2回もバイロイト詣でをしてその影響のもとに歌劇「ペレアスとメリザンド」をつくった。
パリ万博の音楽展は、官の援助でフランス音楽を盛り立てようという企画であり、各国にも招待をしたが、ドイツだけは招待されなかった、さもありなんというか。オーケストラのコンサートも10回開催されたが、やはり専門家の選考でないので凡庸な作品が多かったと批評されている。そしてフランス近代音楽への芽生えは万博の別方向から起こる。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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