近代アジアの騒乱37-大日本帝国憲法発布

1889年2月11日「大日本帝国憲法」が公布された。「大日本帝国」というのはいかにもオーバーだが、このネーミングは実は江戸幕府が開国後に外国に対して使いだしたようだ。日米修好通商条約にもこのネーミングは使われている。帝国はミカドの国という意味である。

また大日本は「オオヤマト」として古来から使われてきたらしい。「大日如来の本国」という解釈もあったようだ、しかしいろんな国号が使われ、統一されたのは1935年、ここらへんになると国粋主義の感はしなくもない。ともあれ国民は何のことかわからず、「絹布の法被」をもらえると思った者も居る。

自由民権運動で国民議会開設の要求が強まり、政府としても国会の開設のためには成文憲法が必要だった。この憲法は天皇がすべての権限を握ることになっている、しかしそれと政府、国会との権限をどう調和させるかが問題となった。伊藤博文に憲法学を教えたシュタインは予算だけは国会でやるなと言ったらしい。

議論のあげく、帝国議会は協賛機関となった。法律提案はできるが、予算は否決できず、削減ができるのみだった。他国との条約の批准権もなく、ともかく天皇と政府に国民の声を届けるのみのことしかできなかった。それでも在野の識者も含めてこの憲法は思ったより先進的と評価された。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。