1888年、ドイツがオスマン帝国とアナトリア半島の鉄道建設の協定を締結した。実はそれまでイギリスがトルコに鉄道を建設していたのである。それはインドへの経路としてであったが、スエズ運河開通によってその必要はなくなり、代わって中東進出のきっかけが欲しかったドイツが引き継いだのだ。
89年フランクフルトに「アナトリア鉄道建設会社」が設立され、92年にイズミトからアンカラまでの路線が開通した。しかしオスマン皇帝アブドゥルハミド2世は、オスマン帝国の近代化のために帝国の鉄道網建設を要望する。しかしオスマンは今や欧州の債務管理国であり、その資金はなかった。
ところが98年、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が聖地エルサレムを訪問、中東を歴訪し、オスマン皇帝にも面会した。ヴィルヘルム2世は中東進出の夢に取りつかれ、オスマンの鉄道延長計画に理解を示す。そこで99年、コニアからバグダードを経由してバスラまで鉄道を敷設するバグダード鉄道計画が承認された。
このバグダード鉄道は、始めは英仏資本も参加する予定だった。しかしこの計画が報道されるやインドへの脅威として英国世論が反対、さらにイランへの影響を強めていたロシアの反対によりフランスが参加を撤回し、ドイツが独自で行うこととなった。この鉄道は後に3B政策と呼ばれ、次第に列強間の対立が深まってくる。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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