1888年、ゴッホはパリを出て、南仏のアルルに赴いた。当地の強烈な光はゴッホをすっかり魅了し、まるでここは日本だ、と手紙に書いた。同時に大地に生きる素朴で聖書的な人を彼はここで見たのである。「種まく人」に代表される明るい絵が生まれる。そしてゴーギャンを呼んで画家コミュニティを作ろうと思う。
ゴーギャンがそれに乗ったのは、ゴッホの弟テオとの関係でドライな理由からだった。一方ゴッホは理想に燃え、アトリエを飾ろうと、有名なひまわりの連作を描いた。ゴッホは補色の研究をしていたが、青の下地に黄色でひまわりを描いて、より黄色を鮮明に見せる手法を案出する。
2人は浮世絵のような平面的画面構成や大胆な構図には影響されていたが、あくまで写実を追求するゴッホに対し、中米で見た神話的な神秘主義に影響されていた。ゴーギャンはゴッホの速描きや厚塗りがガマンできなくなり、口論が絶えなくなる、結局ゴーギャンは出ていき、ゴッホは自虐で自分の耳を切った。
ゴッホは精神病院に収容され、アルル時代とは違う幻想的な作品も描くようになる、これはゴーギャンの影響もあるのかもしれない。ゴーギャンは、さらに西洋文明から離れ、1890年にタヒチに旅立つ。二人は自分の絵画を孤独の内に追求することになってゆく。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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