神の貧者達4-フランチェスコ教皇のもとへ

この面会ですっかりフランチェスコのファンになった司教さん。彼はなんとかしてこの者達の力になりたいと思った。1209年、ドイツのオットー4世がローマで神聖ローマの戴冠をするためにアシジを通った。フランチェスコもローマへ行って、教皇にこの12人のグループを認めてもらいたいと思うようになった。

1210年夏、一団はローマへ出発した。司教はローマに滞在して、彼らを知己の枢機卿に紹介してあげた。それでもフランチェスコは直接教皇に会おうとして拒否られたそうだ。ジョバンニ枢機卿は彼らを数日間見て、風変わりだが、カタリ派のようにヴァチカンに背く者ではないことを確かめ、教皇インノケンティウスに奏上した「福音に生きている者として」である。

今や全欧州の権力の頂点に立つ教皇とみすぼらしい神の貧者は初めて会見した。教皇はフランチェスコの言うことを聞き、「その戒律は厳しすぎて挫折するのではないか」という感想を持ち、1日待つように言った。枢機卿の大勢は反対、教皇は考えた。欧州内部に十字軍を広めたが、カタリ派の戦さは収まらない。

それどころか、あちこちでカタリ派のように勝手な辻説法を語る者が増えてきた。フランチェスコを認めれば、さらに増えるのではないか?その夜、教皇は自分のラテラノ大聖堂が崩れる夢をみた。その中で1人のみすぼらしい男が来て、肩で宮殿を支え、再び元に戻したのだ。

下はジョット作「教皇インノケンティウス3世の夢」

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。