神の貧者達3-托鉢修道会「小さな兄弟団」

親の縁は切ったものの、金の縁も切れてしまったフランチェスコ。しかしここで道楽と商売の経験が役に立った。市場に出た彼は歌を歌ってから「石を1つくれる人は天国でむくいを1つ、3つくれる人は3つ受けられまーす、さー安いで安いで」さすがまだ中世である、皆石をもってきてくれた。さらに彼は教会を建て直しながら通る人に来易く声をかけて皆に手伝ってもらった。

食事というと家々をめぐって分けてもらった。ごたまぜ料理を食べてみると何と美味しかった。こうしてとうとうフランチェスコはこの教会を建て直してしまい、次の古びた教会へとりかかった。そして1209年2月のミサに与っているとき、彼についに声がかかった。「言って皆に天国は近付いたと告げなさい。金貨も下着も2枚の上着も靴ももたずに行きなさい」

そのときから、アシジの町で、みすぼらしい服を着て辻説法をする彼の姿があった。彼は正しい清貧な生活をする平和を語った。たちまち親友が弟子になった。親友は試すために家へ泊めたが夜中でも一心に神に祈るフランチェスコを見て、財産を処分して従った。さらに青年が弟子になった。こうして「小さな兄弟団」と呼ぶみすぼらしい集団ができた。

彼らの特徴は、みすぼらしいのに陽気でいつも歌を歌い、互いに愛し合っていたことだった。教会の偉そうな聖職者とも陰気な修道士とも違っていた。とうとう司教がフランチェスコを呼び「食事できるぐらいは持ったらどうか?」と言った。彼は答えた「財産があったらそれを守る武器がいります。愛が妨げられます。愛をそっくり保つために何ももたないのです」。

下の絵は小さな兄弟団。実際のエピソードは、どっちへ行くかを決めるのに兄弟をぐるぐる回して決めたりアホなエピソードも多い

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。