故郷に帰ったフランチェスコはいつもの陽気な男に戻るが、静かなところへ行って祈るようになった。ローマに巡礼して、乞食の真似をしたこともあったという伝記もある。何もかも捨てた快感を覚えた。今までの生活が空しくなった。すると声が聞こえた「いままで愛していたものを憎みなさい」。
何のことかと考えている彼の目の前にハンセン病患者が居た。とっさにビビったが、神の言葉を思い出して、馬から降り、彼の手に施しを与え、臭いに耐えながら指に接吻した。その瞬間、えも言われぬ快感が走った。翌日は施設に行って大勢に触れられた。声はそのことに満足したのか次の課題を与えた。「わたしの家を建てなさい、倒れかかっているから」。
この言葉にはもっと大きな意味があったのだろうが、フランチェスコは眼の前のサン・ダミアノ教会のことだと思った。そこで日向ぼっこをしていた老司祭に、自分の持っていたものを着物まで与えて帰っていった。家に着くとそこにあった高価なものを持ち出してあげてしまった。父が帰ってきてびっくり仰天、大激怒。
父は市に訴えたが却下。今度は司教に訴えた。司教は父と息子をひきあわせた、面白そうだとヤジ馬もやってきていた。「父のものは返しなさい」息子はそのとき、服も何もかも脱ぎ捨てて言った「父のものはすべて返します、今からはピエトロ・ディ・ベルドーネを父と言わずに、天におられる私の父と言うでしょう」。
下は映画「ブラザーサン・シスタームーン」より父との別れ
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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