1885年、福沢諭吉は自ら主筆としている時事新報の社説に「脱亜論」を書く。これは原稿用紙6枚の簡潔な文である。まず諭吉は文明はハシカのようなもので防ぐ方法はないといい、これを積極的に受け入れて推進するべきだという。ところが中国、朝鮮は違う。
この2国は近代化を拒否しており、このままでは西洋に分割されてしまうだろう。そしてまた日本も同じ目で見られるというのである。もはや隣国は悪友のようなもので、日本は早く手を切って「脱亜」を達成して近代化に邁進すべきである、そういうことを言った。
福沢は、「脱亜」は言ったがあくまで日本は自立すべしという思想で、「入欧」とは言わなかった。ところがこの二年後、慶応義塾大出身の鈴木券太郎が「山陽新報」のなかで「脱亜入欧」という言葉を使うのである。世の風潮として西洋文化が盛んになり、この言葉は自然とスローガンになったようだ。
「脱亜入欧」の成果といえるのは1902年に結ばれた日英同盟である。当時の最強国のイギリスと日本が同盟国になるということは西洋列強と対等の立場となったと日本は歓喜した。ところがイギリスからすれば対ロシアの番犬という意味であり、本当に強国となったとき西洋は日本にストップをかけるのだ。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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