1884年8月、ついにフランスは清国に開戦し、馬江海戦において仏極東艦隊は、清国最新鋭の西洋式福建艦隊を叩き潰した。さらにフランスは台湾に艦隊を派遣して高雄、台南の海上封鎖を行い、上陸して地上戦を行うが、さすがに補給が乏しく、戦線は膠着状態になる。
ベトナムでは、ハノイ北東の要衝ランソンをめぐって激しい攻防がくり広げられた。フランスはランソンを制圧し、さらに国境へ向かう。仏議会では強硬派が勝利して、トンキン地方全域を制圧しようとし、強硬派の陸相が就任した。しかし戦線は膠着してしまう。
戦線膠着でフランス軍の士気低下は夥しく、85年3月、バンボーの戦いで負けたのをきっかけに撤退して、ついにはランソンも放棄してしまう。さらに雲南軍や黒旗軍の追撃にも負けた。この報告はフランス本国で衝撃をもたらし、フェリー首相に不信任が出され、首相が解任。新首相フレシネは停戦を求める。
フランス国内では反戦反植民地の気運が高まり、ベトナム撤退も僅差で否決されるという状況に陥る。ところが西太后率いる清国宮廷でも債務がかさみ、戦争を継続できない。85年6月9日の天津条約では、賠償金ゼロのかわりに北ベトナムを仏領とした。その2年後仏領インドシナができる。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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