1882年、ついにニーチェによって有名な「神の死」が宣告された。気をつけねばならないのは、「神はいない」と言ったのではないということだ。そして私達が神を殺したと書かれている。科学の進歩と共に、神は現実世界からどんどん追放されてきたが、これはそれを指している。
しかし、神の死はもっと重大なことを意味している。絶対的に決定されている価値基準は何もない、ということである。神学者のみならず、哲学者カントも神に頼らない基準を哲学によってつくろうとした。しかしそんなものはもはやこの時代にはないということである。
ニーチェがそれに代えるのは「個人の決断」である。そしてその決断の結果が何回起ころうとも(永劫回帰)後悔しない、という個人を新しい人間「超人」と呼ぶのである。民主主義は面倒で、ときおり人々は超人の独裁を欲しがる、それは今も変わっていない。
確かにナポレオンの侵略は、自由を広げるという普遍的な言い訳があった。植民地拡大にしても、文明や神の教えを広げるというもっともらしい言い訳がある。しかしその理屈は皆ウソである。ニーチェは人間はぶっちゃけ力が欲しいと述べる。彼は確かに神の死で近代的虚飾を切り裂いたのだ。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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