インノケンティウス大教皇の力から英国だけ無事でいるわけはない。大陸領土を失ったジョン王はカンタベリー大司教の人事で教皇と対立し、教会領を没収しようとしたため、1206年英国には聖務停止、王は破門された。それでも改めない英王に対し、なんと廃位を宣告、仏王フィリップ2世に与えると宣言した。
仏王は大喜び、父ヘンリー、獅子心王の屈辱をここで晴らすとばかり、13年諸侯を集め、妻の実家デンマークの力も借り1700槽の船を揃えいざ出発。ところが直前、ジョンはギブアップして教皇に領土を差し出すと言って赦してもらったのだ。仏王さすがに「教皇の命令で金使って準備したんだからこのままでは終わらんよ」とシャアのように教皇特使に言う。
そこでジョンの味方のフランドルを攻めた。ジョン側には教皇から破門された皇帝オットー4世まで駆けつけ、1214年中世3王会戦が始まった。フランスには東より帝国の大軍が、西の海岸にジョンの英国軍が上陸、仏軍は挟み撃ちで絶対のピンチ。しかし完全に有利な筈のジョンは、仏王太子ルイの軍に緒戦に負けるとあっさり撤退してしまったのだ。
フィリップは、オットー4世らの連合軍とブーヴィーヌで対戦。数では圧倒的に勝る連合軍だが、仏王は「我に勝る者があればこの王冠を着けよ」と名演説をぶって諸侯の心を一つにし、先に戦場につき、後からダラダラと到着する連合軍を次々に撃破した。ここにフランス王権が確立し、敗北したオットーは帝位を奪われ、帰国したジョンも反乱が待っていた。
下はオラース・ヴェルネ作ヴェルサイユ宮殿蔵の「ブーヴィーヌの戦い」フィリップ2世名演説シーン
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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