ついに近代憲法の先駆けといえる「マグナ・カルタ」が制定される。ちなみに不文憲法であるイギリスではマグナカルタは未だに有効。ともかく近代憲法は、為政者の権力を制限するために生まれた。ここらへんをしっかり認識しないとえらいことになる。要するにプランタジネット家はよそ者、フランス人の王なのだ。
ところがジョンは大陸の代々の領地を失ったあげく、フランスでの戦争にイギリス諸侯に税金をかけたのだ。それで負けて帰ってきたのだから始末が悪い。この点仏王フィリップ2世は、ジョンの家臣を裏切らせたので戦費調達は苦労せずにすんだ。
イギリスに居着いたノルマンはすっかりイギリス人化していた。1215年1月から諸侯はジョンと交渉したが、ジョンはこれまでの法の順守を拒んだ。そこで内戦となり、ジョンはロンドンを追放。ウィンザー城に籠るジョンに、貴族代表が交渉に行き、結ばれたのが最初のマグナ・カルタ(大憲章)」というわけである。
ところが、このマグナカルタを教皇インノケンティウスが認めない、つまり一番偉いのは教皇だから。解放されたジョンはこれでまた掌を返す。堪忍袋の緒が切れた貴族は、仏王太子ルイを呼びこんだ。勇躍上陸したルイはイギリスの東半分を従え、他の制圧に乗り出した。しかし1216年10月、やっかい者の王ジョンが亡くなると、諸侯は9歳の息子を国王にして、一転ルイに歯向かい、リンカーンの戦いで大敗したルイは帰国した。
下はマグナ・カルタに署名させられるジョン王
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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