ベルエポック28-教皇、イタリア王崩御

1878年、初代イタリア国王サヴォイア家のヴィットリオ・エマヌエーレ2世が崩御した。遺体はカトリック教会ではなく、ローマのパンテオン神殿に葬られた。そして同年教皇ピウス9世も崩御する、近代的教皇と期待されながら、最後はイタリアと対立してヴァチカンに立てこもり、自らヴァチカンの囚人と呼んだ。

その葬儀が行われたのは3年後の81年だが、何と民衆は葬儀におしかけ、棺をテヴェレ川に投げ込もうとした。この後ローマには、イタリア統一の英雄像が続々と建てられていく。反ヴァチカンのムーヴメントが最高潮に達した感がある。これを見て新教皇レオ13世は、オーストリアへの亡命を考えたという。

新教皇になってもイタリア王国との対立は続き、レオ13世は聖職者らに、選挙での投票をしないように指示した。そして新修道会を認めて、世界宣教を活発化させる。欧州でも和解外交を行い、とりわけイタリアの代わりにフランスに後ろ盾を求めて共和制を承認した。

イタリア王国側は、ヴァチカンとフランスが組むのに反発してなんと1600年に異端の罪で火刑となったジョルダノ・ブルーノを今更復活させて記念碑をつくる。ブルーノはこのことで反ヴァチカンの英雄になってしまった。この対立は、ムッソリーニのラテラノ協約まで続くのだ。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。