第4回十字軍14突撃大逆転のレコンキスタ

イベリア半島では、北アフリカから来たムワッヒド朝が勢力を拡大していた。1212年インノケンティウス3世はイベリア半島に対しても十字軍を提唱する。この訴えに、カスティリア、アラゴン連合軍がつくられ、ポルトガル、フランスからも騎士達が駆け付けた。もはや「十字軍」はブランドと化していたと考えていいだろう。

1212年7月16日、ナバス・デ・トロサで両軍の決戦が行われた。十字軍5万人に対してイスラムは北アフリカからの応援が主力で12万人。ちょっと勝負にならん差である。イスラム軍は一気に勝負を決めればいいものを、兵を失いたくないので、十字軍に攻めさせてその疲れを待つことにして後退した。

ヤル気十分のカスティリア王アルフォンソ8世は、それを見て本陣の脇腹に突撃を敢行。イスラム軍を混乱に陥れた。その後、ナバーラ王サンチョ7世が、イスラム本陣へ伝説の正面突撃。強力な親衛隊を打ち破り、王のテントまで侵入した。これを契機に、イスラムは総崩れとなり、10万人と言われる犠牲者を出して敗走した。

この勝利を契機に、イベリア半島でのレコンキスタは一気にすすみ、1235年にカスティーリアとレオン王国が統一され、1236年にコルドバが陥落、アラゴンも1238年にバレンシアを占領、1248年にセビーリャが開城して、1250年代にはイスラムはグラナダ王国を残すのみとなった。海上でもアラゴンがマジョルカ、イビーサを制圧して、イスラム勢力は地中海でも縮小した。

下はスペイン上院議事堂にある「ナバス・デ・トロサの戦い」

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。