フランスで成立した共和派内閣のもと、フランス特有の政教分離(ライシテ)が進行することになる。1881年には公営墓地、葬儀から宗教性を排除した。そして公教育大臣として就任したジュール・フェリーの「フェリー法」によって、公教育からキリスト教が排除される。
フェリー法では、初等教育ではカトリックのカテキズムを教えていたが、これを道徳・公民教育として排除した。そして小学校に多く居た修道士やシスターらを教職から排除したのである。もっとも、フェリー法では、学校以外での宗教行事を保証するために日曜日以外の一日を休校としている。
そして同時に初等教育が義務化された。実はなんと普仏戦争の敗戦が影響している。プロイセンでは19世紀初頭に、徴兵を目的として義務教育が施行されていた。戦争に負けないために教育しようというわけだ。そしてカトリック、反カトリックが長年フランスを分断してきたことも敗戦の理由にあげた。
これに対してカトリック側は「教育の自由」を主張、この主張は認められて、私立学校が公教育とは別に設立されるようになった、ただし私立学校への国庫助成は禁止された。16世紀後半のユグノー戦争以来の宗教対立は、共和主義を生み、19世紀後半に至ってようやく一定の解決をみたのである。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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