ベルエポック24-第三回パリ万博

なんと1878年フランスは3度目のパリ万博を開催する。ビスマルクの予想に反して、フランスはさっさと50億フランもの普仏戦争の債務を返済してしまった。この博覧会は、フランスの復興と国際舞台への復帰、並びに穏健な第三共和制の姿を列強に見せるためのものだった。

展示会は前回よりも拡張され、トロカデロの丘にはトロカデロ宮殿が建設され、その中を先端技術である電車が走った。さらに目玉の一つが「水族館」である。砂ろ過槽の発明によって、魚を生きたまま見ることが可能となり、この後フランスで水族館は大流行、サン=サーンスが「動物の謝肉祭」に水族館を入れる。

日本は準備期間が西南戦争と重なって、官界からは人が出せなかったが、もはや民間の輸出熱が勝り、輸出用工芸品も盛んになって民間からは多くの人員が出た。この頃のパリはもうジャポニズムが大衆的な広がりを見せており、もはや狂気と言われるまでだった。そしてフランス人の創作が相次いでくる。

実はフランスは、前年77年10月の選挙で、共和派は下院の過半数を獲得していた。王党保守派の大統領マクマオンと議会との軋轢はますます広がり、79年1月30日にパリ万博を花道としてマクマオンは大統領を辞任、共和派のグレヴィ大統領が就任して、第三共和制は全盛期を迎えることとなる。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。