印象派革命3-モネとジャポニズム

1876年、印象派の画家モネは、第二回印象派展に、「ラ・ジャポネーズ」を出展した。モデルは彼の妻だが、いかにも日本ブームに乗った絵である。この絵は、日本趣味のコレクターに売って金を稼ごうとして描き、2000フランで売れたが、画家はそのことを恥じて「がらくたの気まぐれ」と言った。

しかしモネは、それより前に日本の浮世絵などを収集しており、231点にのぼっている。西洋絵画は聖画から始まり、ダ・ヴィンチのように、目の前の現象ではなく、その奥の真実を描こうとしてきた。しかし色彩科学は、色とは光が網膜に映る映像にすぎないことを示した。

日本の浮世絵は、聖画とは別に庶民のプロマイドや観光案内として発達した。印象派の画家は、本質ではないただの風景が、いろいろな視点から変わって見えることを発見したのだ。そしてモネは77年「サン=ラザール駅」の連作に取り組む。これは北斎のさまざまな富士の絵の連作に影響されている。

実は、フランスも鉄道が延びてパリっ子達は週末には郊外でレジャー楽しむことができるようになった。サン=ラザール駅はその出発点である。印象派の画家達は、その列車に乗って郊外で余暇を楽しむ人たちを描くことになる。モネも「舟遊び」を描くが、舳先の大胆なカットはやはり浮世絵の影響である。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。