成立したドイツ帝国は、一見強そうだが、内実はプロイセンを中心とした実質連邦であり、22の国と3つの都市は独自の首長と制度を持つことができた。一方帝国議会は25歳以上の男性の普通選挙で選ばれた。しかしプロイセンを中心とした参議院が同意せねば法律にならなかった。
また自由主義者が望んでいた議員内閣制は作られず、行政や外交は宰相ビスマルクが握っていた。戦争には勝ったもののぎくしゃくした内政で、ビスマルクが行ったのは内部に敵をつくることまずカトリックを敵とした「文化闘争」である。72年に宰相は「我々はカノッサへは行かぬ、身体的にも肉体的にも」と言う。
実は、プロイセンがポーランドなどを併合してカトリックが多くなっていく、プロイセンでさえ3分の1がカトリックだったのだ。72年にはイエズス会が解散させられ、学校監督法で聖職者から国家に学校が移る。73年には、聖職者になるために国家試験が定められた。
74年には結婚が教会ではなく、世俗的儀式によっても可能となった。75年には修道院が解散させられる。ベルリン動物園のライオンが死んだことさえカトリックの陰謀とされた。だがこうした政策は反発を呼び、帝国議員選挙でカトリック系議員が倍になった。ビスマルクは結局社会主義者弾圧で手を結んだ。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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