近代アジアの動乱23-日清修好条規と沖縄

1871年9月13日、日清修好条規が締結された。これは中国が初めて締結した対等な条約である。明治政府はまず李氏朝鮮と国交を結ぼうとしたが、列強の侵略を食い止め、独立鎖国を維持していた朝鮮はこれを拒否した。そこでます清国と国交を結べば日朝関係が有利になるというもくろみもあった。

清国としては、これまでアジアに対しては朝貢制度であり、それが崩れるのを恐れた。しかしこのときの実質首相で近代化をすすめていた李 鴻章は、列強の力に日本を利用して対抗しようと考えて、この条約を推進した。列強は日清が協力するのではないかとこの条約を警戒した。

日本側が望んだのは、厚かましくも列強と同等の最恵国待遇だった。さすがに認められるわけもなく、相互に最恵国待遇をするということに落ち着いたが、締結後お互いに無視された。そして第二条に、他国に対する同盟条約が清国から提案されたが、単なる友好と日本は解釈した。

ここで問題となったのが今の沖縄、当時琉球国の扱いだった。琉球国は、名目上独立していたが、江戸時代から島津の支配を受け、また清国にも朝貢を行っていた。さらにはペリーも上陸しており、明治政府としては、ともかく琉球を日本の管轄下に置くことを急ぐのである。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。