帝国の時代61-岩倉使節団とビスマルク

普仏戦争が終わったころに、日本は欧米に使節を送った、というか岩倉具視をはじめとして明治政府のトップが行ったのである「岩倉使節団」がそれだ。それまで日本はフランスのナポレオン3世贔屓で、1871年の廃藩置県もフランスを真似て行ったのだ。ところがその皇帝が負けて捕虜の恥辱を受けるとは。

使節団の目的は、不平等条約改正の交渉だったが、それは困難と思い知らされる。そして米英仏を回ると、自分達との落差に驚くばかりだった、そんな中で行ったのがプロイセンである。1783年岩倉使節団に会ったビスマルクは「自分達も小国だったときに屈辱を受けた」と切り出したのだ。

大国はホントは不利となれば武力を使う、役に立つのは富国強兵だ、これは日本の針路を決めた一言だったかもしれない。実は普仏戦争の最中、桂 太郎は、予定していたフランスに行けず、しかたなくプロイセンに留学して勝利を見た。大山巌もやはり普仏戦争を見ている。

この後日本はドイツ贔屓になり、モルトケの推薦により、1885年陸軍大学校にメッケル少佐がやってくる。それまでのフランス式を全部プロイセン流に変えていく。世界のトップであればそれまでにこだわりなく、学ぶという日本の風土気質がなければこれはできなかっただろう。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。