印象派革命2-モネとターナーの日の出

普仏戦争でフランスから逃げた者の中に画家のカミーユ・ピサロとクロード・モネが居る。2人はそれまでコローなどに影響された自然主義的な絵画を描いていた。しかし正式なアカデミックな美術教育を受けていない彼らの絵はなかなか相手にされず、アカデミーに当落選を繰り返して、評価が低かった。

そしてモネがイギリスで出会ったのが奇才ウィリアム・ターナーの絵画である。ターナーは1851年に亡くなり、絵画は皆国に寄贈されて観ることができた。当時のイギリスはラファエル前派が出て、田園風景を描いていたが、ターナーの絵画は結局受け継がれなかった。

とりわけモネが影響を受けたのはターナーの「ノラム城 日の出」である。ターナーはノラム城を度々訪れては描いている。そしてその最後が、日の出の光に満たされたようなこの作品だった。モネは、その連作という姿勢までも自分のスタイルに取り入れることとなる。

イギリスから帰ってきたモネは、もはやサロン展に絵を申請せず、集まってきた若い革新的な画家達と独立展覧会を計画する。そして1874年に開催されたのが「第一回印象派展」である。モネは記念する展覧会に、ターナーへのオマージュとして「印象 日の出」を発表し、ムーブメントの象徴となった。

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。