フランスを代表する作曲家カミーユ・サン=サーンスは、セーヌ国民衛兵の一兵卒として従軍した。そして「戦争の歌」も作曲して後に「英雄行進曲に改作している。敗戦後、「国民音楽協会」を結成して、フランス音楽の振興で国に貢献しようとした。ずいぶんな愛国主義者である。
ところが敗戦後にパリ・コミューンが勃発、彼はその頃パリのマドレーヌ教会のオルガニストだった。コミューンから敵視され、ロンドンに亡命した。彼は間に合ったが、彼の音楽的才能を認めてくれた司祭ガスパール・デゥゲリは、「血の一週間」で処刑された。
普仏戦争のパリ包囲戦でも、親友のテノール歌手アンリ・ルニョーを亡くしている。そんな彼が1872年に作曲したのが作ったのが有名な「死の舞踏」である。この曲は真夜中に死者が踊り出すというヨーロッパの伝統を踏まえたものであるが、サン=サーンスの心に響いたのだろう。
74年には管弦楽曲にも編成されて、75年に初演された。しかしまあさすがにリアルすぎて失敗した、戦争の痛手を忘れようとするフランス人には逆効果だっただろう。しかし不気味趣味のあるリストが取り上げ、繰り返し演奏されているうちに今ではサン=サーンスの代表曲となっている。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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